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株式会社環境設計国建でご活躍中の羽根田誠さん(右)と、転職をサポートした株式会社レキサンの城間美将コンサルタント=2024年5月、那覇市の同社が入居するOTV国和プラザにて

 

那覇市久茂地、沖縄を代表するオフィス街。
沖縄屈指の建設コンサルタント・株式会社国建の設備設計部門として2004年に分社独立した株式会社環境設計国建(伊佐照彦社長)は、那覇市庁舎、沖縄美ら海水族館、琉球新報本社ビルなど、現代沖縄のランドスケープの象徴となるような建造物を数多く手がけてきました。

そこに、東京の大手組織系建築設計事務所勤務を経て2023年春にIターン転職してきた一人の男性がいます。

羽根田誠さん(38歳※転職時は36歳)。建造物・構造物の電気や空調、給排水などの設計で快適な室内環境を生み出す「設備設計」のプロフェッショナルとして、その活躍の場を沖縄に移しています。

「転職というよりは移住をしたいという目的が先立ちました」と話す羽根田さんは、妻の地元・沖縄で「地域に根差した暮らしがしたい」と、子ども2人を抱いて家族4人で沖縄へとやってきました。環境設計国建に転職してからは、ワークライフバランスや地域との関わり合いの変化で、より充実した子育て環境に身を置くことができました。

一般的に「沖縄移住」のハードルの一つとされる“お仕事問題”。

羽根田さんはどのように、キャリアを継続させたまま移住まで成功させることができたのでしょうか。羽根田さんの転職をサポートした、株式会社レキサンの城間美将コンサルタントが環境設計国建を訪問、羽根田さんにお話を聞いてきました。

 

移住2年、かりゆしウエアが「楽ちんです」

城間:こんにちは羽根田さん。今日はお時間いただきましてありがとうございます。

羽根田:こんにちは。こちらこそありがとうございます。

城間:ミンサー柄のかりゆしウエア、素敵ですね。沖縄のオフィス街にすっかり溶け込んでいます。

羽根田:着心地が良くて楽ちんです(笑)

城間:今回は、羽根田さんが設備設計の分野で積み重ねてきたキャリアについてや、それを今の職場でどのように生かしていらっしゃるのか、はたまたご家族で沖縄に引っ越されてきてどのような生活の変化があったのかなど、あれこれお伺いできればと思います。

 

転職コンサルを利用した最大のメリットとは

城間:単刀直入にお伺いしますが、ずばり今回の転職&移住のきっかけは何だったのでしょうか?

羽根田:直接的なきっかけは、義理の妹の成人式に参加するために、家族で妻の故郷である西表島に行ったことです。地域やPTAの方々が式を作って、終わった後も自宅に集まって食事会をしていて、絆の深さを感じました。そういう地域に根ざした暮らしぶりがすごく良いなと思ったんです。

城間: 奥様も同じようなご意向だったんですか?

羽根田:最初のうちは「お互いいつか移住できたら」というゆったりした時間軸で考えていたのですが、特に、二人目の妊娠をきっかけにして本格的に相談して決めました。

城間:東京と沖縄の一般的な給与水準を比較した時に、どうしても下がってしまうという可能性はあると思うのですが、奥様とはそのあたりのことはどのように話し合ったのでしょうか?

羽根田:それよりも妻は「早く移住しよう」という感じでした。「ちゃんと働いていれば必要なお金はある程度もらえるでしょう」と。こちらからの給与希望額の設定は、あくまで可処分所得で考えました。東京時代に比べると家賃は約半分になりましたし、物によっては物価も安いので、その分相応に下がるものとして希望していました。希望に沿った条件で受け入れてもらえたのでありがたいです。生活の質も変えずに移住できています。

城間:羽根田さんほどのしっかりしたキャリアですと、転職をしたいとなった時に同業者からのオファーで引っ張りだこな状況にはなると思います。ご自身だけではなく弊社と一緒になって求職活動をして頂けたのはどうしてですか?

羽根田:沖縄県内の企業に詳しくないので、現地情報を効率よく知りたいという思いがありました。日々の仕事で十分な時間が取れなかったですし、沖縄の建設業界との直接的なつながりが無くネットで情報を得るしかなかったのでどうしても難しい部分がありました。また、面談などの日程をスムーズに調整してもらえたのも非常に助かりました。

城間:実際に転職活動を経験されて、ネックだったこともありましたか?

羽根田:はい。東京にいて沖縄の会社のことを調べるとなると、得られる情報が限定的ですので「この会社を志望する動機」「この会社の良さ」を自分の中で明確にするのに時間が掛かりました。ですので、この経験を生かして弊社のホームページもリニューアルして、社風や雰囲気が外からも見えやすいようにできればと考えています。

沖縄ならではの仕事の魅力!気候・文化に合わせた設計の追求

城間: 東京で高層ビルや大型公共施設を手掛けてきた羽根田さんが、あえて沖縄へ移る上で「地域ならではの設計をしたい」という思いが強かったとうかがいました。その背景をもう少し教えていただけますか。

羽根田: はい。設備設計は、その土地の気候や文化を読み込んで最適解を探す仕事だと思っています。沖縄では首里城の復元・支援やリゾートホテルなど「ここだからこそ」の案件が多くて、家族と地域に根差しながら設計に携われる。そこに強い魅力を感じました。

城間:沖縄ならではの気候や環境では、建築や設計の在り方も変わってきますか?

羽根田:そうですね。これに関しても新しい視点が多いです。東京と比べて緯度が低い分、沖縄は太陽の軌道が高いんですよ。設備設計の視点からすると、日照の角度を考えて屋根の断熱性能と空調効率のバランスや、自然光と照明のバランス、ソーラーパネルの設置場所を検討する時に、沖縄の気候・環境に合わせて考えていくということが必要になってきます。

また、湿度・塩害・台風も加味して必要があります。こういう“沖縄仕様”を一つひとつ学びながら、組み立てる作業が楽しいですね。

城間: 離島をテストベッドにした実証も盛んですよね。

羽根田: バイオマスや廃棄物を燃料に変えて発電するプロジェクトなど、小規模分散型エネルギーの実証が進んでいます。成功例を全国へ横展開でき、地域課題の解決と先端技術の社会実装を同時に狙えるのも魅力の一つです。ゆくゆくは、そうしたプロジェクトに直接携わりたいと考えています。

城間:「地域に根差した空間作りがしたい」というアイデンティティの原点はどこにあるのでしょう?

羽根田: 実家が薬局兼住宅だったので、子どもの頃は、商品が入っていた大きなダンボールで秘密基地のようなハウスを作って遊びながら、「空間が人をつなげる」楽しさを身体で覚えていました。その延長線上で建築に興味をもって学び出したのが、建築人生の始まりです。

実家の薬局は、目の前がバス停で、ご近所のおじさんたちが気軽に立ち寄ってコミュニケーションを取り合うような環境だったので、暮らしと仕事と地域が自然に混ざり合っていました。その景色が心に残っています。

 

東京と沖縄で企業の先進性、どう変わる?

城間:給与面のみならず、仕事の規模や先進性なども、東京と地方では差があるようなイメージがあります。東京で長らくバリバリやっていた羽根田さんが沖縄での転職となると、キャリアダウンになるのではないかといった不安は感じませんでしたか?

羽根田:設計の仕事内容や成果物の質という点では、国交省で定められている指針等も多いため、前職時代と大きく変わりません。ただ、手掛ける施設の種類に変化がありました。沖縄の歴史文化や観光に関連する施設設計にかかわる中で、やりがいや使命感を感じています。新しい用途・分野の設計に携わることで、むしろキャリアアップにつながっていますし、キャリアダウンだということは全く感じていません。周りには技術のある方、交渉上手な方、根拠を詰めるのに徹底している方たちがいて、学ぶことの多い環境です。

城間:転職先選びで他に重視したことはありますか?

羽根田:新エネルギーや脱炭素、サステナブルなど、時代に適応して具体的にアクションを起こしているかどうかも転職先選びの基準にしました。面談時に、テーマ別に推進室としての活動があると伺い、惹かれた点の一つでした。

城間:環境設計国建さんでのそのあたりの取り組みをどのように感じていますか?都内大手の先進的な企業でのご経験から見えてくることもあるかと思います。

羽根田:意外かもしれませんが、東京の企業とも取り組みの強度に違いはありません。そうですねぇ…、大差無いと思います。省エネ設備や再生可能エネルギーなどで年間エネルギー消費量をプラスマイナスゼロにする「ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)」の取り組みを前職で推進していたのですが、沖縄の設計でも一般的に導入・推進され始めています。

また、県外での視察や研修があり、内地企業とのJV設計もあり、技術や意識の格差は無いと思います。むしろ、島嶼県ならではの課題解決として、新エネルギー技術の実証実験が進んでいる等、沖縄に強みがある面もあります。

転職後のフレックス制で子どもと過ごす時間大幅増!

城間:東京時代は結構ハードワークをされていましたよね!

羽根田:今は生活ががらっと変わっちゃいました。以前は家族が寝ている所に帰宅する生活でした。また土曜日出勤もありましたが、建築設計業界はそのような働き方が普通でしたし苦ではなかったのですが、妻からは「働きすぎよ」と言われていました(笑)そういった意味では今はフレックス制を活用することができているので、ワークライフバランスが改善されていると思います。早めに出社して早め退勤、育児に充てる時間を確保できています。

城間:環境設計国建さんとしては、なぜ長時間労働を回避できていると思いますか?

羽根田:会社としての全体の業務量を最適化して調整できているということが根本にあるのだと思います。また内作設計を重視し、作業手戻りがないようにしており、社員一人一人の業務効率化の意識も高く、就業時間の短縮につなげられています。

城間:改めて、生活の在り方自体が変化すること自体に、葛藤は無かったですか?

羽根田:前の職場の人にもすごく良くしてもらって、仕事も充実していたので非常に後ろ髪を引かれる思いはあったのですが、「地域に根差した暮らしをしたい」という気持ちが強かったです。私の実家は、親が薬剤師をしていた関係もあって、自宅と薬局が一緒になった環境でした。目の前にバス停があって、地域の人々がおしゃべりしに来てくれる。このような原風景の影響もあるのかもしれません。

城間:前職のみなさんとは今もつながりがありますか?

羽根田:はい!この間も当時の同僚たちがゴールデンウィークに沖縄に遊びに来てくれていたので、国際通りを案内しました。

城間:良いですね!東京のみなさんも、より沖縄が身近になって行き来できる機会が増えることも、楽しみの一つになりそうですね。東京と沖縄、飛行機に乗れば数時間で行けますし。

羽根田:そうですね。沖縄のみなさんは困った時には親切に相談に乗ってくれる方が多いと感じています。ですので、沖縄への転職や移住を考えている方は、あまり不安にならずに飛び込んでもらえたらと思います。

城間:羽根田さんの経験談は、転職・移住を考えている方にとって大変参考になると思います。本日は貴重なお話、本当にありがとうございました。

羽根田:こちらこそ、ありがとうございました。

(文&写真 長濱良起)

対談を終えて

環境設計国建さんのオフィス前でお待ちしていると、かりゆしウェアを爽やかに着こなした羽根田さんが、素敵な笑顔で迎えてくださいました。「サイトにも出てくる、イチオシの会議室を予約しておきましたよ」とにっこり。対談前からその心配りに温かさを感じました。

偶然にも私と同じ南城市にお住まいとのことで、最初はローカルトークで盛り上がりました。

現職では地域性や環境条件に向き合いながら、設備設計のプロとして果敢にチャレンジを重ねておられる様子が伝わってきました。沖縄への移住・転職は、キャリアダウンになりがちな傾向があるのが実情ですが、「新しい用途・分野の設計に携わることで、むしろキャリアアップにつながっています」と力強く仰る姿が印象的でした。

ご家族で参加された奥様の妹さんの結婚式で、地域や親族のみなさんとの深い関わりに大きなインパクトを受けたことから沖縄移住を決めた羽根田さん。そのときに思い描いた生活を実際に体感されており、我々も心から嬉しく思っています。

(コンサルタント:城間美将)


城間 美将 Shiroma Yoshiyuki
コンサルタント
沖縄県南城市生まれ。中央大学を卒業後、ベンチャー企業に就職。その後、介護情報サイトの運営企業、大手人材紹介のマーケティング部門にてWeb編集者を経て、沖縄へUターン。2025年1月より株式会社レキサン(リージョナルキャリア沖縄)に入社。2児の父であり、趣味は、スポーツ(野球、サッカー、ボーリング)、動画視聴(AbemaTV、Youtube、NewsPicks)、料理。

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