一人ひとりの悩みにじっくり向き合い、
納得できる選択肢を一緒に探す
PROFILE
- 出身
- 沖縄県南城市
- 出身校
- 沖縄尚学高校、中央大学
- 趣味
- スポーツ(野球、バスケ、サッカー)、料理(最近は子どもの弁当作り)
- 特技
- 聞くこと、対話から本音を引き出すこと
- 居住歴
- 沖縄→東京→沖縄
- 思い出の場所 (沖縄)
- 古宇利大橋
南城市で生まれる。高校時代の留学により留年し、同級生より一学年遅れて大学進学。その後、大学進学を機に東京へ移住。高校生の頃に祖母の介護に関わった経験が、後のキャリアに強く影響する。
大学卒業後はオーダースーツの営業職を経験。当時は就職活動でやりたいことを見いだせずにいたが、「せめて見た目だけでもかっこいいビジネスマンに」という想いから選択した道だった。その後、祖母の介護体験をきっかけに、介護に関するWebメディアの編集職に転職。取材や記事づくりを通して、”困りごと”を抱える人の声を聞き、伝えることにやりがいを感じるようになる。
2人目の子どもが生まれたことをきっかけに沖縄へのUターンを決断。現在は、レキサンにて転職支援のコンサルタントとして活動中。

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01
広い世界に踏み出したい一心で東京へ
最初のキャリアは”模索”の連続 -
沖縄県南城市で生まれ育ち、高校卒業後に「まずは東京で経験を積みたい」という思いから東京の大学へ進学しました。高校時代の留学により留年し、同級生より一学年遅れてのスタートでした。その影響もあって、大学で周りの先輩たちが就職活動をする姿を一歩下がった立場で見ていたのですが、「就職活動になった途端、なんかあんまりかっこよくないな」と感じてしまって。
将来やりたいことがはっきりしていたわけではなく、就職活動でもどこか手応えをつかめずにいた私が選んだのは、オーダーメイドスーツ事業を手掛ける10人ほどのベンチャー企業でした。「せめて見た目だけでもカッコいいビジネスマンに」「なんかこう色んな人をかっこよくできたらいいな」と、当時の自分なりにしがみついた選択だったのかもしれません。
営業として、お客様のところに伺って採寸から生地選び、オプション決め、工場への発注、納品、微調整まで、一連の流れを担当していました。友達を起点にして顧客を広げていくスタイルで、お客様と向き合いながら信頼関係を築いていく仕事には手応えもありました。
しかし、2年ほど経った頃、「これは自分が本当にやりたいことなのか?」という問いが頭に浮かぶように。Webにも挑戦したいと思っていましたが、当時の社長とは「Webよりも地で行きましょう」という方針が合わず、このまま続けていくことへの迷いが生まれていました。

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02
声なき声に耳を澄ませて
介護メディアで見つけた「伝える」使命 -
そんな時、ふと頭をよぎったのが祖母の介護を手伝った経験でした。祖母が脳梗塞で倒れ、自宅で介護をしていた頃、長男だった私は基本的に親に付いて行って、ケアマネジャーの方とのサービス内容の打ち合わせにも同席していました。制度的な話や、実際に介護している人の大変さを親の姿を通して感じながら、「介護業界で何かできることはないかな」とずっと心のどこかで考えていました。
Web系のサービスを展開している会社で、なおかつ介護分野に関われる場所はないかと探していたところ、運よく介護分野のWebメディアを運営する会社と出会いました。最初は営業職で応募したのですが、たまたまいた編集長が「編集業務をやってみないか」と声をかけてくれて、未経験ながらWeb編集の道に進むことができました。
編集の仕事は初めてでしたが、取材や記事づくりに取り組む日々がスタート。現場で向き合うのは、介護業界のコンサルタントや事業者の代表の方々でした。そこで痛感したのは、信頼関係がちゃんと構築できていないと良い記事にならないということ。何をやるにも、信頼関係ができているかどうかが全ての物事を左右することを学びました。
30人規模だった会社が120人まで成長するフェーズに携わることができ、社歴的には社長以下5番目まで出世することもできました。自分の親も介護で大変だった時に感じていた困りごとを、他の人たちも同じように抱えている。それに対して情報提供ができる大きい媒体で、そこに貢献できるなという実感を得ることができました。

働く場所は、もっと自由に選べていい、
沖縄で描けるキャリアの幅を広げたい
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03
届ける仕事から、寄り添う仕事へ
レキサンで出会った”これから”の支援 -
編集の仕事にはやりがいを感じていました。しかし、結婚や子育てといったライフステージの変化が訪れる中で、「これからの働き方をどうしたいか」を考えるタイミングがきました。人がたくさん辞めていく激しい会社だったので、安定した環境で働きたいという気持ちもありました。家族との暮らしを思い描いたとき、自然と「沖縄に戻ろう」という気持ちが強くなっていきました。
特に、3歳の子どもがいる中で、「あと2-3年で決めないと」という切迫感もありました。高校生の頃から沖縄に貢献したいという思いも強く持っていたので、自分にできることは何かないかと考えるようになりました。
そんな矢先に出会ったのが、レキサン代表・島村でした。レキサンの転職相談者として面談を受け、島村と話をするなかで、改めて自分が何をしたいのかということに気付かされました。私の経験が活かせそうな県内企業を複数紹介してもらったのですが、結果的には「自分と同じように沖縄へ戻って来たいと考えている人たちのサポートがしたい」という思いが一番強く、「レキサンでコンサルタントとして働きたい」ということを島村に伝えました。
Web編集からは大幅なキャリアチェンジではありますが、人の話をじっくり聞いて、言葉にして届ける。それって、編集の仕事と本質は同じかもしれないなと感じたんです。だったら今度は、誰かの”これから”に伴走する側にまわってみようと心を決め、レキサンに飛び込みました。

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04
答えが出なくても、焦らなくていい
転職は「言語化」と「納得」のプロセス -
転職を考えるとき、頭の中には言葉にならない思いやモヤモヤがたくさん浮かんできます。私がまず大事にしているのは、それを丁寧にすくい上げて、一緒に整理していくこと。ぼんやりした不安や希望を少しずつ言葉にしながら、「自分は何を大切にしたいのか」「どうありたいのか」を見つめ直していく時間は、何よりも大切なプロセスだと思っています。
実を言うと、私自身も一社目ではやりたいことが分からずに遠回りした経験があります。自己分析をせずに就職活動をしてしまい、入社してから「ちょっと間違えたな」と感じることもありました。だからこそ、すぐに結論が出なくても大丈夫。焦らなくていいんです。
編集者時代に学んだのは、インタビューと面談では全く違うということです。インタビューでは「こういう話を聞かせてください」と言いますが、相手は答えを持っているわけです。でも面談では、求職者の方は情報を求めているけれど、必ずしも明確な答えを持っているわけではない。「どうすればいいと思う?」と問われたとき、しっかりと話を聞くことが重要になってきます。
20代の頃は「言われても…」と思っていましたが、30代に近づくにつれて、ちゃんと自分で答えを出さなきゃいけないと思うようになりました。いま何に引っかかっているのか。どこに違和感があるのか。それを一緒に言葉にしていくなかで、「だからこそ、こうしたい」と心から納得できる選択に出会える。そんな転職のかたちを、一緒に作っていけたら嬉しいです。

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05
「ないなら、つくればいい」
沖縄で”働く”をもっと自由に -
私自身もそうでしたが、結婚や子育てをきっかけに沖縄に戻る決断をする方は少なくありません。けれど「帰りたいのに帰れない」と悩んでいる人が多いのも事実。話を聞くたびに、県外で経験を積んだ沖縄出身者を求める企業と、戻りたくても一歩踏み出せない人の間に、大きなギャップがあることを感じています。
特に沖縄は製造業などの産業が少なく、県外資本や海外資本が入っている企業を起点に就職を考える必要があります。そうした求人がなかなか見つからないという課題もある中で、東京などで優秀なキャリアを積んできた人たちが沖縄に帰る場所がない。企業側も、そういうキャリアの持ち主を採用したいけれど、なかなかそういう人が見つからない。このマッチングができていない状況を何とかしたいんです。
だからこそ、その橋渡し役になりたいんです。勇気を出して一歩踏み出すための情報と気持ちの後押しを、必要な人に届けられたらと思っています。編集者時代に培った「信頼関係を築いて、本当に必要な情報を引き出し、伝える」という経験を活かして、求職者の方と企業の双方としっかりと向き合っていきたいと考えています。
「沖縄には仕事が少ない」とよく言われますが、ないなら創ればいい。声を上げる人が増えれば、選択肢はきっと広がります。沖縄の人たちが県外・海外に安心して出ていけるような環境を作り、そして帰りたくなったときに自然に戻ってこられる。そんなサイクルが当たり前になればいいと思っています。
沖縄の人がもっと自信を持って県外でチャレンジできるような環境をつくりたい。外に出ることを怖がらずに済むように、そして、帰ってきたくなったときに自然に戻ってこられる。そんなサイクルが当たり前になればいいと思っています。
実際、沖縄に帰りたいのに帰れないという声は多く、その一方で、沖縄の企業も地元出身の人材を求めている。両者の間をつなぐ役割を、自分が担っていきたい。
「ないから無理」ではなく、「どうやったら創れるか」を一緒に考えていける存在として、これからも挑戦していきます。